江戸時代後期、葛飾北斎(1760~1849)は、自ら”画狂人”と称するほど終生描くことに情熱を燃やし、九十年に及ぶ人生を画業一筋に歩んだことはよく知られています。このような北斎の尽きることのない探求心が盛り込まれているのが「北斎漫画」全十五編であり、不朽の名作「冨嶽三十六景」と並んで彼の代表作とされています。
「北斎漫画」でいう漫画とは、折りにふれ、筆のおもむくままに描いた絵といった意味であり、森羅万象あらゆるものを題材に描いた「北斎漫画」は、まさに眼で見る江戸百科ともいうべきものです。それは北斎自身のデータバンクともいうべき性格もおびていて、「冨嶽三十六景」の作品中にも、「北斎漫画」から図柄や構図の原型をもってきたものが見られます。このような「北斎漫画」は、当時、江戸の庶民から大名まで広く親しまれ、今日で言う大ベストセラーとなりました。
「北斎漫画」は、日本国内だけでなく19世紀中頃、ヨーロッパにも伝えられ、ジャポニスムの流行をひきおこす原動力となり、マネやドガをはじめとする印象派の画家にも多大な影響を与えました。彼らは、「北斎漫画」の持つ卓越した描写力と構図に驚嘆し、模写したり、そのエッセンスを自らの作品のなかに取り入れました。当時パリでは、北斎を神聖視する風潮すらあったといわれています。
「北斎漫画」という表題は北斎自身がつけたといわれています。現代の漫画、マンガとは少し意味合いが違いますが、おかしくて思わず笑ってしまうような共通の要素もたくさんあります。
北斎漫画は北斎が55歳の時に初編がでて、90歳で亡くなった後も刊行され続け、初編が刊行されてから65年後に15編が出て完結となります。その絶大な人気と息の長い出版によって、人々の記憶に焼きつき、現代の「漫画」という言葉のルーツになったものと考えられます。
浦上蒼穹堂代表取締役である浦上満は、学生時代より「北斎漫画」の魅力にとりつかれ、以来50年にわたり約1500冊の「北斎漫画」を蒐集し、専門家のあいだでは現在、質・量ともに世界一のコレクションといわれています。全国の公立美術館などを中心に30会場以上で「北斎漫画」展を催し、様々なメディアにも取り上げられてきました。2005年には、そのコレクションの中から初摺、かつコンディションの良いものを選りすぐり、全15編、900ページを原寸カラーで再現した「初摺 北斎漫画 全」が小学館より刊行されました。
北斎というと「冨嶽三十六景」があまりに有名で、風景画の大成者と思われがちですが、それは70歳を越えてからの作品。実は北斎が45歳頃から精力的に取り組んだ読本挿絵の世界が凄いのです。文化年間、勧善懲悪をうたう読本の全盛時代が訪れ、ここに馬琴らと組んで、読本挿絵画家北斎のめざましい活躍がはじまります。
読本挿絵といえば今のイラストです。「新編水滸画伝」では中国の小説に取材した波瀾万丈のストーリーや、「椿説弓張月」のような荒唐無稽の場面の続出するドラマチックなものにも、北斎のダイナミックな構図が縦横無尽に描かれています。「絵入読本は北斎によって流行した」と当時から大評判となりました。また、晩年の「釈迦御一代記図会」にも、たいへん迫力ある挿絵が描かれています。
春画とは男女の営みをおおらかに描いたもので、江戸時代には庶民はもとより大名にまで幅広く親しまれていました。
需要は高く人気もありましたが、幕府の禁令を受けた後は、いわゆる地下出版となり、その分豪華で手のこんだ美しいものがつくられました。江戸時代を包括的に理解するためには欠かせない裏の文化といえます。
江戸期の浮世絵師はほぼ全員といっていいほど、当然のように春画を描いていましたが、特に優れたデッサン力なくしては描けないジャンルなので春画を見れば絵師の技量が一目でわかるともいえます。当然北斎も春画を手がけており、その卓越した構図と生き生きした線で画面いっぱいにあふれるように描かれた男女の姿がなんともいえないエロティシズムをもって迫ってきます。